それは8月が終わろうとするある休みの日のことだった。
前の日に変な時間に寝た為に中途半端な時間に目が覚めた私は、何を食べるかまだ覚めきっていない頭の中でむにゃむにゃと考えていた。
﹙しんどかった夏もほぼ終わったし、給料も入ったし、ちょっと奮発しちゃうのもアリかねぇ……﹚
普段は奮発しても唐揚げ弁当が鳥チリ弁当に変わったり牛焼肉定食が牛カルビ焼定食に変わる位なのだが、それもちょっとつまらない。
身支度を整えながらぐるぐると考えを巡らせている内にふと最近目についた看板を思い出す。
﹙そういや近くの焼肉屋、週末限定のランチやってるんだっけ?﹚
前からあったお店で最近名前が変わったのだが、古い名前も新しい名前もちゃんとは覚えていない。
覚えているのは外に出している看板に「週末限定ランチ1280円」と書かれていたことだけだった。
早速ネットでくわしく調べてみる。
﹙時間も……間に合うな!﹚
そうと決まれば多少の小雨のも何のその。早速そのお店へと自転車を漕ぎ出したのだった。
焼肉天山閣中吉野店
﹙なんかカッコいい名前になってるな……﹚
お店の脇に自転車を止め、いざ店に入ろうとした刹那、あることに気付く。
﹙あ……今日自分一人じゃん……﹚
お昼頃は少し過ぎたとは言え夏休み最後の週末。もしかしたらなかは子供連れの家族で賑わっているかもしれない。
そしてここは大学も近い。夏休み真っ盛りの大学生たちがワイワイやっている可能性もある。
﹙これは……早まったか………?﹚
雨ではない雫が額から境目のよくわからない顎にかけて伝い落ちたような気がした。
一人焼肉。﹙しかも初体験﹚
一人カラオケなら何度かある。が、あれは詰まるところ個室だ。こっちは多少囲いがあるとは言え周りの様子はほぼ筒抜けである。周りが騒がしいなか一人で焼肉をするのは結構キツイものがある。
﹙幸い隣に喫茶店がある……今からでもそっちにするか……?﹚
しかしもうすでに足はお店に向かっている。ここから隣の喫茶店に向きを変えるのはさすがに無理がある。
﹙ええい、ままよ!﹚
まさかこんなことで使うと思ってもみなかった何処かで聞いたセリフの力を借りて、焼肉屋の扉を開いたのだった。
「いらっしゃいませー」
店内によく通る店員の声。その後ろにはあまり馴染みの無い最近の曲がBGMで聞こえてくる。
﹙ん……これは……?﹚
店内には静寂が満ちていた。
いや、実際音が全くなかった訳ではないが、焼肉屋としてはこれは静すぎる。何しろ肉の焼ける音すら聞こえてこない。
﹙もしかして……客自分だけ……?﹚
さっき迄の想像とは正反対の状況な訳だが、さっきと同じ雫がまた伝った気がした。
「こちらの席にどうぞー」
席に着く。改めて店内を見回してみる。やはり客の影は見えない。
﹙いやいや、客がいないからどうだというのだ。とりあえずメニューを見よう﹚
メニューに並ぶ鮮やかなお肉の写真を見ていると、自然と心は落ち着きを取り戻すのだった。
﹙どれにしようかなーなんだけど……﹚
「すいません。『カルビ&ハラミ定食』下さい。後ドリンクバーも。」
焼肉と考えれば確かに1280円は安いけれど、普段の食事と比べるとやはり倍近く変わってくる。奮発するつもりで来たが、さっきの動揺が残っていたのか無難な選択となってしまった。
「かしこまりましたー」
店員がコンロに火を着け、カウンターへ戻って行く。
サ――――――――
雨はまだ降っている。
「…………………♪」
目の前で徐々に熱を帯びてゆく鉄板に合わせて少々沈んでいた気分も上向いてくる。
「お待たせしました。カルビ&ハラミ定食です。」
きれいに盛られたお肉が届く。
静かな店内、一人きり。
邪魔する物はなにもない。
﹙うーむ、これはこれで良いかもなぁ﹚
ドリンクバーのグラスに飲み物を注いで席に戻った時には、すっかりご機嫌になっていたのだった。
﹙さてさてー、一通り並べてみますか!﹚
ジュー、じゅわーー
様々な具がそれぞれ異なる音を奏で始める。
熱が伝わるに連れてその輝きを変えていく。
良い感じのところで引っくり返すと、落ち着いていた音がまた盛り上がっていく。
その最高のショウをかぶりつきで魅入っている自分がいた。
﹙いやーたまりませんわー﹚
誰かと話す訳でもなくただお肉達が焼けるのを眺める。それだけでここまで心踊るとは思わなかった。
﹙では早速………♪﹚
ウキウキ気分で焼けたカルビをタレにくぐらせて口に運ぶ。
ジュワッ!と口のなかにタレとカルビの脂の旨味が広がる……!
直ぐご飯と行きたいところだがそれを堪えながらゆっくりと味わう。
﹙せっかくだし、ゆっくりじっくり楽しもう﹚
十分に堪能したところで次のお肉に箸を伸ばす。ハラミだ。
ぎゅっとした心地よい歯応えと共に、少し癖のあるお肉の香りが鼻腔を通り抜ける。
﹙あー、この癖がなんとも良いのよねー﹚
個人的に好きな焼肉の部位のなかで一二を争うのがこのハラミ。ロースなんかの上品な部位に比べて癖が強いのだが、自分にとっては “だが、それがいい” のだ。
舞台の世界でも癖の強い役者なんていっぱいいるけれど、その癖を上手く使って人気のある人はたくさんいる。
自分も癖が強い﹙特に見た目﹚役者なのでこの癖を上手く活かして行きたいものだと思う。
﹙さーてまだまだいきますわよー﹚
お肉を食べたら次を焼く。合間に野菜やご飯を楽しむ。そんな感じでソロ焼肉ショウを楽しんでいたのだが、気づけば1杯目のご飯は無くなり、お肉も半分を切っていた。
﹙ふぅ。ここからだな………!﹚
このまま優雅なショウを楽しむのもいいが、やはり焼肉。最後は一気に燃え上がろうと、すっかり火の着いた心が叫んでいた。
「すいません、おかわり下さい。」
ご飯のおかわりを頼み、飲み物を注ぎにいく。
席に戻ると残ったお肉達を一気に鉄板に並べる。
ジャー!
フィナーレに向かいお肉達の祭囃しが鳴り始める。
「お待たせしましたー」
店員さんが白い御輿を運んで来る。
﹙さぁ、お祭りだー!!﹚
心の中でそう叫び焼けたお肉とご飯を一緒に口の中に運ぶ。
そこから先はもうあっという間だった。
優雅なショウから始まった一人焼肉は、最後にはさながら火力発電所の如く燃え上がったのだった。
「ありがとうございましたー」
会計を済ませて外に出る。火照った体にぱらつく雨が心地よい。
﹙いやー思った以上に盛り上がっちゃったなーまた公演終わったらやろっかな﹚
11月には劇団の本公演『しんちくん』がある。それに向けて練習も頑張らねばならない。
﹙次はホルモンもあるやつにしようかな?﹚
が、今はそんなことも忘れて祭の後の浮かれた気分を引きずりながら家路に着いたのだった。