めがね、めがね、奥にもめがね。
今回、劇団楽一楽座より客演の藤本君の参加によりめがね人口が増加し、
徳島でも有数のめがね劇団となりつつある劇団めがねまんまるです。
現在、6月2(土),3(日)に高知の蛸蔵にて行われる『吃音めがねヒーロー』鋭意稽古中です。
こんにちは、両目の視力は共に1.0を保っている安藤です。
続々と押し寄せるめがね軍の侵攻に歯止めをかける存在でありたい。
さて、今回の劇団まんまる本公演の演目である『吃音ヒーロー』
旅劇団一座で劇作家を務めるキツオは、
吃音であるが故に話をしようとしても言葉に詰まってしまって、
自分の考えを仲間にうまく伝えられない場面があります。
芸術の栄えたワイトリーユの姫でありながら、
現在は過去の面影を無くしてしまった都に暮らすオルカ姫も、
オルカ姫の父であるワイトリーユの王ドルフも、
物語的にゴニョゴニョな人物として描かれています。
伝えたくてもうまく言葉が出てこない。
心の中ではもしかしたら誰かに伝えたいと願っているかもしれないのに、
表にはその気持ちが出てこない。
伝えたいのに伝わらない。
伝わらないから相手にも分からないまま、
でも自分の中には確かな気持ちを持っている。
芝居や物語の中だけではなく、
現実の生活に於いてもよくある話なのかもしれません。
子供の頃、好きになった相手に気持ちを素直に伝えられなかったり、
親への感謝の気持ちだったり、
友人や仲間を大切に思う気持ちだったり、
本当はいつも心の中にあるのに、
いざとなると気恥ずかしくて伝えられない。
伝えたい気持ちはあるのに、相手と話している時には言葉に出なくて、
後になって伝えたかった想いに気づいたりする。
気持ちを伝えたい相手に、
短い言葉で想いを100%伝えられたらきっと楽だし、
今よりも色んなことがもっと上手く回る気がします。
でも人はそれを簡単に出来ないから文章を書いたり、
頭の中のイメージを物語に変えたり、
舞台上で芝居を作って見せようとする。
詩も小説も映画も、
音楽も絵画も彫刻も、
写真も芝居も元は同じ。
伝えたいけど伝わらない、
伝えるためにはどうすればいいだろうという、
気持ちの芽生えから生まれるのかもしれません。
キツオにとっての伝える手段は劇作であり、
また劇中に登場する劇団員にとっては演出だったり役者だったり、
色々な役割に沿って物語を伝えようとする訳です。
僕にとってはやっぱり写真かなあ。
ある時には一枚の紙や画像にしか見えないものが、
別のタイミングで見た時には物語が写っているように感じられる、
そんな自由さが気に入っています。
コンプレックスがその人の個性を作る部分は確かにあって、
苦手とするものがある分、得意な分野はどんどん伸びていくというか、
吃音ヒーローにおけるキツオにはそんな一面もあったのかも…
と台本を読んでいて感じました(あくまで個人の感想です)
伝えたかった想いの結晶がそれぞれの生き様となって、
もしかしたら芝居を作っている私達自身にも、
その想いが重なる瞬間が来るのかもしれません。
気持ちを言葉に代えて、
またある時は言葉ではなくても。
それでは今回はこの辺で。
安藤でした。