いのちのカマボコの記憶

2月2日(日)、あわぎんホールで開催された『徳島の記憶』無事終演いたしました!

ご来場いただいた皆様、本当にありがとうございました!!!

『徳島の記憶』では一つ目の作品『旗』に妻役で出演、そして二つ目の作品『いのちのカマボコ』を執筆しました。

『旗』はまんまる丸山座長の作で夫役は丸山さん、『いのちのカマボコ』は私作でもりのが出演なので、まんまる色強目でしたね。なお、『旗』のもう1人の出演者は南河内万歳一座の丸山さんという、まるやま色強目でもあります。

役者としては2週間の駆け抜ける様な稽古で、あっという間に幕が上がり、降りました。

一方、脚本の方は去年の夏からなのでかなり時間を掛けて取り組みました。

人にもよると思いますが、私は自分の作品を溺愛してしまうタイプです。

なのでここでは、役者としてより、脚本の清水として、『いのちのカマボコ』を書いた背景などに触れたいと思います。

目次

エピソードは『川』

たくさん寄せられた徳島の個人的なエピソードの中からピンと来たのが、[女性たちは井戸端で食器などを洗ったり、川で洗濯をしたりしていた][子供の頃は命札を下げて川に遊びに行った]というエピソードでした。

ここから、お母さんたち3人が阿波弁で家のことや子供のこと、食べ物のことなどかしましく話すシーンが生まれ、さらに川に行く子供が命札と一緒に流されてしまった!?という展開に辿り着きました。

おみいさん

エピソードでもうひとつ、[西の方に住む人のことをそらの人と呼んでいた]というのも気になっていて。それ自体は使わなかったけれど、言葉や地域の壁と、壁を乗り換えて繋がる人たちを書こうと思いました。

それが、東京から来た新任の先生・おみいさんの役割だったのです。

私はこのおみいさんがとても好きで、演出の内藤さんが再構成した結果、声だけ出演になりましたが、

東京から来た若い女の先生で、芋の粥(おみいさん)みたいに色が白くて、怒っても阿波弁じゃないから怖くない

ちょっと下に見られているおみいさんが、実は芯の強い先生だった。どこか余所者扱いしていた阿波のお母さんたちを最後に『ガイななぁ』と唸らせた。

令和の時代でも移住者に冷たい地域は田舎に行けば行く程普通にあります。

私の務める移住センター界隈で有名なコンシェルジュは、『3年は目立ったこと何もするな』とまで言います。

それでも、いつか人は分かり合う瞬間があり、きっとそれを結ぶのは誰かを思う気持ちや、ご飯

そう、郷土料理をたくさん出したのにはこんな狙いがあったのでした。

いのちとカマボコ

昔から、演劇や映画、本など作品中でご飯を食べるシーンが好きなんです。

高校生の時に初めて書いた脚本では、好きな女の子の家の定食屋で主人公がカツ丼をかっ喰らうというシーンを書きました。

今回は食べるシーンでこそありませんでしたが、おみいさんはじめフィッシュカツ、カマボコなど食べ物の話でお母さんたちに盛り上がって貰いましたし、最後にはおみいさんにおみいさんを食べてもらおうという交流が生まれます。

いつの時代も、嬉しい時も悲しい時も怒る時も人は食べて生きてきた。言葉よりももっと雄弁で原始的に訴えられるのが、食べ物だと思うのです。

内藤さんの再構成・演出とキャストの皆さんによって、本当に活き活きとしたシーンが生まれてたと思います。ありがとうございました。この作品を書いて良かったです。

私の『いのちのカマボコ』のみならず、それぞれの作家の作品は内藤さんの再構成や演出を受けて大なり小なり加筆され生まれ変わってるんですが、こうやって振り返ると、【演劇を遊ぶ】という部分がしっかり出てるんだなぁと実感します。

私の書いたカマボコは、子供は結局川で溺れさせなかった。けど、内藤さんは溺れさせたし、おみいさんも下着で泳がせたもんなぁ。うーん。そっちの方が面白いよなぁ。

さて、3年計画の『徳島の記憶』来年は更に突っ込んで作品作りをするそうです。

もちろん私も参加します、出来れば本も書きたいし役者もしたい!

最後に…

『いのちのカマボコ』のお母さんたちの役名は夕子・愛子・涼子でした。

これには由来になってる歌があるんですが、気付いたのは中島みゆきを歌うアンティークアイドルのアイちゃんだけでした。どこまでも昭和編にこだわった私だったのです。

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