おーきさんに次いで話が長い事でおなじみ、清水宏香です。
ちょっと長くなるお話、それも去年のお話ですが、聞いてくれますか?
実家のぴーちゃんは本当はパトラという名前だった。
クレオパトラの様な黒いの縁取りのある目が印象的で、当時の先住猫・ライオンとの名前の相性も良いということで家族間異論なく決定した。
しかし、そう呼ばれたのは短い間で、いつの頃からかパトラのイニシャル、Pだけが残り、まるで鳥の様な名前の『ぴーちゃん』というちょっとマヌケな名前で定着してしまった。
それでも性格は気位高く、ワガママで、決まったエサしか食べず。
やっぱりパトラ寄りの性格だったなと思う。
ぴーちゃんが我が家に来たのは19年ほど前、妹が阿南高専から連れ帰って来た。
校内を歩いていた生後数ヶ月の子猫を『可愛かったから』という理由で、小さなリュックに押し込められ1時間ほどの汽車に揺られ知らない土地に連れて来られたんだから、たまったもんじゃないだろう。
でも、小さな鯖トラのぴーちゃんが我が家に来なかった生活は、考えられない。
ライオンとの駆けっこや共に寝る姿、本当に愛らしかったし、
ライオンを失ってからの生活もぴーちゃんが居てくれたから変わらず和んだ。
そんな猫のいる生活が、終わろうとしてるんだ。
2018年2月の3日。
『きょうは仕事?
ぴーちゃんが昨日から元気がなくなってウトウトしてる。』
土曜日の夕方に届いた母からのライン。
ちょうど私は昼寝していて起きたところだった。
昼寝の中で見た夢は、猫の夢。
いや、正確には、猫の思念体?の夢。
それもぴーちゃんかと思いきや、ライオンだった。
今、こんなとこで生活してるんよー、って何故か猫にウチの部屋を案内してるという謎の夢、でも胸騒ぎの残る夢だった。
後、夢エピソードには、旦那弟夫婦の愛犬が危篤っていうのもあった。
母に電話を繋ぐ。
落ち着いた話ぶりの母。
しかし、内容は胸が抉られるものだった。
木曜日の夜に、ずっと上がって来てなかった二階に急に来て鳴く、
翌朝外に出してくれと喧しいので出したら塀を越えて行く、
お隣の家の室外機の下で蹲っているのを発見、
それ以降は水も餌も口にしない。
掛かりつけの叔父さん経営ペットクリニックで点滴をして貰ったので、今日明日にどうこうって事は無いと思う、という話だった。
聞きながら涙が止まらない。
母もすぐに察する程に。
ああ、いよいよなんだな。
とりあえず土曜日の予定だった旦那の実家行きは決行して、翌朝、実家に帰る事にした。
久しぶりに会うぴーちゃん。
お正月以来だ。
毎回見る度に小さくなってるけど、今回はもう本当に弱々しく、呼吸する毛玉みたいになっていた。
それでも、母が呼びかけるとゆっくりと声に反応する。
私と母がリビングで喋ったりしてると、そんな状態なのに会話に入ろうとしたいのか、ぴーちゃんのコタツから出て来る。
ヨタヨタとしながらも、ハッキリと意志を持って。
先代猫ライオンの時は、手術の麻酔の影響でかすっかりボケてしまってたけど、ぴーちゃんは体は余命いくばくも無いのに心はぴーちゃんのままの様だった。
飲めないのに水場に向かって行ったり、
外に出たいと鳴いたり、
お尻を拭いたら怒ったり。
猫としての本能はちゃんと保っていた。
ああ、尻尾パタパタさせてイライラしてるのに沢山撫でさせて貰ったね。
人に抱っこされるのが苦手で、抱かれてる時は心臓バックバク言わせてたね。
ライオンと違って人が寝てる布団に入るのが嫌いで、でも、たまーに夜寒い時とかに私の部屋の布団にそっと入って来る時もあったね。ものの5分くらいで出て行ったけど。
来な来なごっこをする様になったのは、次々に家族が家を出て、寂しくなってからかな。
こんなに人懐こい部分があったんだなと思いながらも、『来な来な』と言うと犬の様に小走りにやって来るぴーちゃんはなんともおかしかったよ。
歳を重ねても顔小さく、美人のままで、艶やかな毛、白い毛は雪の様。柔らかいしなやかな体は羽二重餅の様。
あんたを失いたく無い、けど。
苦しまない様に、どうか、神さま。
宜しく頼みます。
でも、
また明日会えます様に。
翌日。
真っ青な空が広がる2月のほっとあったかい日。
未明は水飲み場に行ったりしてたそうだけど、もうコタツの中で息をするだけになっている。
時々寝返りを打ったり。
それも次第に苦痛になり、4本の足で立とうにも体が重くて震えて仕方がなくなって来た。
無理もない、何日も栄養を摂っていない。
動物の感覚で、自分の死期を知っているかの様な振る舞いだと思った。
時折顔を上げては力なく鳴き、それを見て体位を交換する事を繰り返す私と母。
夜になり、声も出なくなり、暗がりに顔を埋める様になった。
そして私が仕事を休める期限も迫っていた。
このまま家にずっといてもしてやれる事は残されていない。
死際を見たいなんてのは人間のエゴだ。
だとしても、側に居たかった。
それは母も同じ思い。
何なら私なんかよりよっぽどぴーちゃんの介護をして来ている。
やはり、最期は母と一番近くで過ごして貰おう。
『ぴーちゃん、おやすみ。また生まれ変わっておいで。』
そう言う母の背中は泣いていたのか。
何にしろ、一番信頼を寄せている人の言葉は暖かく響いたと思う。
ストーブもつけず、ダウンも脱がず、電気もつけずにこれを書いている、2月の7日水曜日夜。
奇しくも2年前の今日、『猫と五つ目の季節』を執筆した山田稔明さんのライブに行った日だったらしい。
愛猫ポチの最期の件はページをめくる手が辛すぎて止まってしまったくらいに、猫好きには愛しくも悲しい実話。
木曜日に山田さんの曲を掛けようと思ったけど、もう少し日が経ってからにしようかな。
ぴーちゃん、ありがとうね。
最後に4日も顔を見られて良かったよ。
声を聞かせられて良かったよ。
おやすみ、ぴーちゃん。
大好き、ぴーちゃん。
何度も目を覚ましてはラインを確認する夜。
まんじりとも出来なかったけど、眠気は不思議と感じない朝。
8時に母からのライン。
『おはよう
ぴーちゃんはまだ頑張ってます。身体はもう動かせなくなってますが意識はかすかにあります、強い猫🐈です。』
そうか、今朝を何とか迎えたのか。
窓の外は明るい日差し、広がる青空。
昨日にも増して春を感じる風の匂い。
ぴーちゃん、おじみそやから虹の橋を渡るん怖いんちゃうんかいな。
いけるいける、多分ライオンが待ってくれとうけん行ってきな。
そんな独り言を言いながら、9時47分、実家のある北側の窓に向かい写真を撮ろうと構えたところ、母からの再びのラインが。
『ぴーちゃん
大往生しました。くるしまなかったよ』
10時前、私の出社時間前にぴーちゃんは旅立ちました。
2月8日は語呂合わせでニャンと読めるので、今年からこの日はニャンの日。
忘れない日。
さっき撮った空には薄っすら白い筋模様が写っていた。
まるで、
鯖トラの模様みたいだった。
ぴーちゃん、バイバイ。
ライオンと仲良くするんでよ。
………
2018年のあの日から、早くも1年が経ちました。
猫のいない生活は、最初こそ慣れなかったけど、それは布に水が染みていくかのように次第に当たり前になっていったのでした。
でも、
実家に帰っても何かが足りない、
いつもそこかしこにくっ付いてた猫の毛が無い、
歩く時に伸びた爪が廊下の床を擦る音がしない、
餌の器とトレーがあった台所の隅っこがポッカリしている、
日当たりのいいカーテンの内側が空っぽ、
などなど色んな事が欠けてる事にうっすら気付くのでした。
私は折に触れてラジオでぴーちゃんの話題を出してましたが、この日以来一度も口にしていません。
亡くなった事も身内の一部にしか話していません。
一年間、口に出来なかった。
人は、本当に悲しい時に悲しいと言えないのは、嘘じゃないんだなって思いました。
大事な人や動物に、いつ会えなくなるかは分からないのです。
失ってから気付くなんて大馬鹿です。
なのに、ぴーちゃんとお別れしてから何人かの友人、恩人を失くしては同じ事を思い泣きました。
月並みな事だけど。
私達は今しか見ないから。
もう一度、よく覚えておきたい。
会いたい時に会おう。
伝えたい時に伝えよう。
ちょうどもうすぐ1年経とうとする頃合いなので、そして折しも春立つ日、季節の分かれ目のタイミングに、書き記していた物をそのまま投稿しました。
これを話せるのは…
もう少し、先かなぁ。
だって、きっと、泣いてしまうもの。