人が淹れた珈琲は冷めていてもおいしい

さみしい

孤独がさみしい

 

普段は孤独を求めているし

ひとりの時間こそ楽しいと思う

気を遣わないで良いし、気を遣われなくて済む

己がやるべきこと、したいことに集中することができる

 

なのにいまとてもこの短期的な孤独をさみしいと感じている

身勝手なもんだなと思いながら、落ち着かない。

 

それはなぜか?

これが意図した孤独じゃないからだ。たぶん。

 

たとえば、さっきまで話していたのに、とか。

継続されることを期待していたコミュニケーションが断絶されたり。

習慣化していたことが、行われなかったり。

急に突き放されたような、放り出されたような、喪失感を感じる。

大抵、ドリブンの主体は自分ではなく、他者。

 

ああなるほど。

うしなうことがいやなのだね。

ひどく狼狽するのはたいてい失って取り戻せないと知る時

人の命も、環境も、物も、関係も。

 

コントロールできないことがいやなのだね。

みずからの環境も、状況も、

自分の意図する状態になっていないと落ち着かないなんて。

 

もうアラフォーと称される年齢になってなお

行動の主体が自分であることを求めている浅ましさ。

昼の光は肉体の醜さを露わにするけど、

夜の暗さは自分と会話するのにぴったりで

内面の醜さをはっきりと浮かび上がらせてくれるね。

 

それだけ、膨れ上がっているのだ、わたしのなかで。

尊大な自我と、かかわる「ひと」の存在が。

乗っ取られてしまいそう、それこそコントロールしなくては。

 

あ。なんだか楽しくなってきた。

 

夫が淹れてくれた珈琲が、少し残っていた。

冷めているけどおいしい。

 

ひとりじゃないけど。

ひとりの時間さいこう。

おやすみなさい。

 

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