TikTokもお絵描きもあんまり長続きしないけど、演劇だけはしぶとく続けてます。

清水です!!!

 

 

長く続けてると、いい事も沢山あるけど、やな事も沢山ありますね。

元いた劇団は、何年か同じメンバーで公演しましたが、あるタイミングで一気に人がいなくなりました。

寂しかったけど、去って行った人の事も、残った劇団の人も、一切嫌いじゃ無いし、私が今ここにあるのはその劇団のお陰でしか無いです。

 

 

こんな事を繰り返している気がする。

ときに演劇は文化祭の熱の様。

わーっと集まって、わーっと作って。

いつもはそんなに仲良く無い人同士でも、にわかに盛り上がっちゃって、はちゃめちゃに楽しい。

 

終わったら殆どの人は日常に帰れるんだけど。

私はいつも、ダラダラと帰りたがらない子だった。

部室に夕陽がさして、真っ暗になって、電気も付けず、取り止めもない話をし続けている女子高生だった。

ひとつのコタツに足を突っ込んで、酒と溶けかけのパルムを齧りながら、思い出話や演劇話を夜明けまでする大人になっていた。

 

ねえ、何でみんな帰っちゃうの?

チャイムは残酷に鳴る。

 

キーンコーンカーンコーン

 

 

ボーーーッ ボーーーッ ボーーーッ

 

胸にしじまの様に響くのは、汽笛。

 

時々ウチに居て『ゥゥ〜』って音が鳴るのを汽笛だと夫に言ったらそれは冷蔵庫の音だと正されて何故だかガッカリしたんだけど、

昨日、本当の汽笛が外からはっきり3回聴こえた。

 

汽笛。

 

それは遠くへの羨望だったり、

暗闇の航海の恐怖だったり、

双子の物語の追憶であったり。

心波立たせる音。

 

私のぽっかり空いた胸の内に美しく響き、またあの日に誘ってくれる、そういう音。

何故、私がそんなにも汽笛を聴きたかったのか。

答えはブラッドベリ、もしくは野田秀樹。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

野田秀樹『戯曲 半神』ブラッドベリ『霧笛』)より。

孤独は,人になる子にあげよう。
代わりにお前には,音をつくってあげよう。

この世の誰も聞いたことのない音,
この海原ごしに呼びかけて船に警告してやる声が要る。
その声をつくってやろう。

これまでにあったどんな時間,
どんな霧にも似合った声をつくってやろう。

たとえば夜更けてある,
きみのそばのからっぽのベッド,
訪うて人の誰もいない家,
また葉の散ってしまった晩秋の木々に似合った…
そんな声をつくってやろう。

泣きながら南方へ去る鳥の声,
十一月の風や,寂しい浜辺に寄する波に似た音,
そんな音をつくってやろう。

それはあまりに孤独な音なので,
誰もそれを聞き漏らすはずはなく,
それを耳にしては誰もがひそかに忍び泣きをし,
遠くの街で聞けばいっそう我が家が暖かく懐かしく思われる…
そんな音をつくってやろう。

おれは我と我が身を一つの音,
一つの機械と化してやろう。
そうすれば,
それを人は霧笛と呼び,
それを聞く人はみな
永遠というものの悲しみと
生きることのはかなさを知るだろう。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ブラッドベリの『霧笛』を冒頭と幕切れに引用した演劇『半神』

双子のマリアとシュラが裂かれる時に、この詩が語られる。

舞台に立つのは演出としての野田秀樹と、役者個人としての演者になっていて、

終わってほしく無いのに終わって行く様が非常に切なく悲しい。

この詩に、生きる事と共に演劇の儚さを重ねた人も多いのでは無いか。

 

演劇は必ず幕が降りる。

その度に私を孤独にさせるけど、

孤独は1番のお友達でもある。

 

暗転とカーテンコールのざわめきの中、私だけがマイクに向き合って終演のアナウンスを入れる、

夢とうつつの間際に現れるお友達。

私たちはいつも寄り添いあって、

噛み締めて、

またあしたの新たな演劇を作っていく。

それは、永遠の物語の始まりでもある。

何十年と経ても色褪せない名作の様な。

 

 

さぁ、次の一ベルを鳴らせ。

 

ブーーーーッ

 

 

 

 

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