こんばんは、北條です。
僕はこの記事を約1週間前に書いております。
僕は今徳島にはいません。
京都にいるのです!
前回出させて頂いた「楽一楽座」の音響として、
全国学生演劇祭に出撃しております。
という訳であんま関係ないんですけど、昔の話をさせてください。
2009年2月22日、今から10年前です。
僕はこの日初めてピッチャーをやりました。
これはマウンドに上がる少し前、投球練習をしているところですね。
それまでは主にレフトとかサードとかをやっていました。
ですが1つ下の子が本当に粒ぞろいで、僕も練習量は誰にも負けないつもりだったのですが、
守っていてもファインプレーもできない、打ってもホームランは打てない「普通」な僕は
2009年になり、スタメンから外れることが多くなりました。
運動神経自体が元々良くなく、足が遅く肩もダントツで弱かったのでとにかくつらい毎日でした。
そんな僕に転機が訪れたのが2月。
基本的に肩が強い子にしかピッチャーをさせてもらえなかったこのチームで、
一人のコーチが僕をピッチャーに推薦してくれたのです。
理由は「コントロールが良いから」と「フォームが綺麗だから」。
藤川球児投手に憧れていた僕はずっと家で親父に座ってもらって投球練習をしていました。
風呂上りにはタオルでシャドーピッチングを毎日していました。
投手に推薦された理由を聞いて、今まで頑張ってきて良かったと思うと同時に、
絶対、抑えてやろうと思いました。燃えてました。
そして2月22日、練習試合でついに登板の機会が来ました。
しかし相手は市内で一番強いチームだったのです。全国大会2年連続出場の強豪です。
僕は5回から登板しました。もう負けている状況での登板。
絶対俺も打たれるんやろうなぁ、とか思いながら初めてプレートに足を掛けました。
そして投げてみると・・・全然打たれないんですよね。
内野ゴロ、内野ゴロ、内野ゴロ。
1イニング目はたった6球で終わりました。
このチーム、速い球はめっちゃ練習してたけど遅い球が来るのは予想外だったそうで。
結果的に3回1安打無四球無失点の文句なしの内容でした。
実は2月22日、親父の誕生日なんです。
最高の誕生日プレゼントになりました。
その後も投手として活躍でき、選手としてのアイデンティティを確立できました。
間違いなく2009年の2月は僕にとっての転機の1カ月です。
あれからちょうど10年、ジャンルは違えどまだ僕は勝負の世界にいます。
10年前のように、もう一度輝きます。
そして、京都で得たものを持ち帰り、また強くなります。
見よ、北條は、赤く燃えている!