大木です。
先日、高知の劇団シアターホリックさんの
徳島県では初の公演『プールのある家』を観劇しました。
※今週末に香川は坂出市!飛んで7月末に愛媛でも上演されます!是非に!!
作・演出・構成・出演と4足の草鞋を履かれている松島さんの演技・お芝居は、
「素」と「演技」の境界線が曖昧な、実に松島さんらしいものに感じました。
※松島寛和さん。演劇映画音楽プロレスなんどもござれのスーパーサブカルお兄さん。
(大木イメージ)
演じきれていないとか、逆に普段から演技しているとか
そんな馬鹿な話ではありませんよ。
実に明確に、多種多様な役を演じられていました。
日常からお芝居に身を投じ、その目線で人を見ているというような。
演じられる様々な人の声、目、表情、ゆるやかな動き、
それら役の誰もかれもを俯瞰から見ているようなお芝居、
優しく、
人を、
愛でているかのような。
だからこそ、彼の演じる役はどこか情けなくても、卑怯でも、愛想が無くても、
愛嬌に満ち溢れているのだと思いました。
大げさでなく、彼の演じる役を見ていたら
「生きてていいんだ」と素直に思えました。
まあ死ぬ気とか1mmもありませんが。
※個人的には上演中笑えるシーンが多々ありましたが、
他の観客のみなさんの空気的がしんみりとしがちな感じに思え
KをYんで我慢していました。
その空間もまた、「演劇って面白い。」
あと、ある演目に出てくる松島さんは樹木希林さんにしか見えませんでした(笑)
そして、「演ずる」というより「役」が「入る」女優、
山田紫織さん。
※山田紫織さん。初めて彼女のお芝居観ましたが噂通り&予想通り凄かった。
あと、字、めっさきれい。
紫織さんも松島さんと同じく沢山の役を演じられておりましたが、
また、お芝居のアプローチが松島さんのそれとは違っておりまして。
「演ずる」ということが、例えば
「役」という「服」を着るという事ならば、
彼女のは、
「役」の「皮」を着るといったところでしょうか。
生々しい意味合いでは無く・・・
「服」を着るにしても普通アンダーウェアってなにがしか身に着けているものですよね。
彼女の場合は、「裸」で、役の「皮」を着ている。
役に対して、
お芝居をするという事に対して
「裸」になれているような。
・・・まあ、あくまで大木の感覚でして。
個人的には大竹しのぶさんの目に似ていると思います。
ON/OFFの感じも。
・・・うわーなんか感覚でモノ書くの深夜のテンションみたいでイタイ気もしますね。
裸、とか連呼して紫織さんにもすいません。
そんなアプローチの違う演技をなされている(あくまで大木の思う、です)
お二人でしたが、それがまあ、
もう、
二人で一つに本当もうハマっているんですね。
※小気味良い間でくり出される音・照明も当然一つになっていました。
すてきな「お芝居」の世界へ連れていってくれました。
ありがとうございました。
・・・して、
ここからがタイトルにまつわるお話。(本当話が長い)
山本周五郎の小説『季節のない街』を舞台用にアレンジしたのが今回の
『プールのある家』でして。
大木は別の周五郎作品しか読んだことがないのですが、
現代に生きる我々にも肌身に感じられるよう、実に、繊細に書かれておられるようでした。
※山本周五郎は主に時代物、且つ庶民の生活に焦点を当てたものをよく書かれておりました。
してして、
自身、ただいま江戸川乱歩の「アレンジ」モノを作っている次第でして。
今公演に『赤い部屋』『百面相役者』とを書いた藤井みな。
『お勢登場』『一人二役』『指』を書いた大木。
※幕間芝居『火星の運河』藤井みな もあります。
※大木&藤井。共に午年と判明。(当然大木が一周上)
二人のアレンジの仕方もまた違うんですよね。
大木は脚本感が強く、
藤井は小説感が強い。
また6作品とも異なった演出で楽しめるようになっています。
※『一人二役』のワンシーン。大木演出名物
「地獄の通し稽古(出来てなくてもむりやり通す)」中。
※『お勢登場』の衣装合わせ中の橋本&繁中&くまと戯れる少女。
繁中さんの美術センスあればこその今作!!!
江戸川乱歩が好きな二人が描く、
江戸川乱歩好きに送るお芝居。
我々流のアレンジの効いたお芝居。
ぜひ、ご来場ください。
あ、次の大木ブログでは、乱歩を読んだことが無い方に向けての
「『乱歩之回』のススメ」
を書きますね!
そちらもどうぞ!!