皆様、ご機嫌うるわしゅう。
劇団まんまる 小川です。
僕は日本人です。
なので、日本語を話します。
コントとか芝居の脚本を書く時も
日本語で書きます。
これは、僕が普段接する人が日本人だったり、
日本語を理解してくれる人だから、
その“言葉”が通じることが大前提であり、
その上で、それを、どのようにして
伝えようかと考えます。
でも、これがそうでは無かった場合。
つまり、相手が日本語を
そもそも全く分からない人だった場合、
その大前提が崩れてしまいます。
僕は最近までパスポートを
持っていませんでした。
それは、自分の“言葉”が通じない人が
沢山いる日本以外の国に行くことが
怖かったからです。
ガタブルだったからです。
最近、ひょんなことからパスポートを取得し、
のっぴきならない事情で
海外に行く機会がありました。
街の人々が何を喋っているのか分からない。
完全にガタブルの境地。
正にガタガタブルブルの状態でありました。
トイレに行きたくて道を聞こうにも、
何と言ったら良いのか分からない。
最終的には
「すいません、トイレはどこにありますか?
というか、トイレなんかありますか?」
と日本語で聞く始末。
確かに『旅の恥はかき捨て』なんて言うので、
その場に撒き散らすことも一瞬考えたのですが、
幸いホテルらしきものを見つけたので、
用を足しに足すことができ、事なきを得ました。
食事の時間。
麺の上にのっている『ネギ』を
抜いて貰おうとするのですが、
まず『ネギ』って
英語で何て言うんですか、みたいな。
まあそれは、メニュー写真の
『ネギ』の部分をトントンってして
「No!!」って言ったら、
普通にちゃんと抜いて貰えました。
要は、何が言いたいのかというと。
相手に自分の伝えたいこと、
想いを伝えたい時。
言葉は重要だけど、
伝える手段はそれだけではないってことです。
いかにして、
観てくれる人に、自分の想いを伝えるか。
今回の経験から、
単純に通じる“言葉”にあぐらをかかずに、
どうすればもっと想いが伝わるのかということを、
考えなければいけないなと強く感じました。
以上です。
それでは皆様、
またどこかでお会いしましょう。
どこか分からないどこかで。