礎を築く

こんにちは、さこっちです。
7月も終わりに近づいて来ました。
花火見ました?浴衣着ました?
 
…忘れられない夏の思い出、できそうですか?きゃっ☆
 
そんなあなたに『吃音ヒーロー』!
徳島公演。いよいよ来週末に迫ってきましたよ!
 
内緒にしてたんですけど。
『吃音ヒーロー』の登場人物って、カタカナのお名前が多いのですねー。
 
ふだん小説を読む際も、名前を覚えたり、人間関係の把握に時間のかかるわたくし。
今回、観劇習慣のない友達も観に来てくれることもあり、
ちょっとでもお話に入り込みやすくなるよう、関係を図にしてみました。
 

 
観劇前に、はたまた観劇後にでも。
あんちょことしてご利用いただけると幸いです♫
 
 
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演劇ほか、会話、文章、写真、絵、音楽……
普段わたしたちはさまざまな表現活動をしていますが、
表現できることについて、当たり前のように考えてしまうことがありませんか?
 
舞台で言うならば。
小道具や舞台などが何もない状態での表現って、シンプルで難易度が高い。
しかしそこに舞台装置が加われば表現の幅はぐっと広がり、
それは直接、お客様に伝わりやすい表現につながってゆきます。
(今回、タニィさんのご協力のおかげで、大変恵まれた環境で表現させていただけます!感謝!)
 
そもそも、稽古がなぜできるのか。
…大きな声を出したり動いたりできる稽古場があるから。
…都合をつけて稽古場に集まってくる仲間がいるから。支えてくれる家族がいるから。
小道具、衣装、制作(裏方)業務、、なんだってそう。
「独りで芝居やってんじゃねえ!」なわけ。
 
舞台や稽古場はもちろん、家庭や職場、他の場所でも。
表現するための「礎」があることを当たり前に思いがちではないでしょうか。
 
思うようにいかないことってたくさんあります。
想いをうまく表現できなかったり、主張しても伝わらないこと、たくさんあります。
そのとき「なんでわかってくれないんだ」とついつい他者を責めてしまいがち。
 
しかし残念ながら、これってどちらも「表現力不足」と呼ぶこともできてしまいます。
言葉が足りなかった?技術力不足?表情や熱心さかな?
いやはや、だとしたら表現に携わるものとして致命的だねー!
 
でも、単に「表現力不足」なのかというと、それだけでもなくって。
表現するための礎をちゃんと築けているのかを思い返してみては、ということ。
 
更に言うならば、礎を築くための努力をしたのかな?
 
場合によっては、礎を「人間関係」と言い換えることもできるかもしれません。
互いに相手の意見を尊重し、素直に受け入れられる関係を築くことができているかどうか。
それは必ずしも対等であれということではなくてね。
 
これは個人的な想いですが、
職場などの社会では、自らがバランサーとなり「敢えて」主張を殺している人が多く存在します。
しかし、稽古場のように表現をする者たちが集う場所は、
その場にいるそれぞれの表現や主張が真っ直ぐに生きる場所であってほしい。
助け合いながら、それぞれの主張が曲がることなく絡み合えば素敵だな。
 
とまあ、自分ができているかは別問題としてね。
できてないからこそ、自省の意味を込めての、理想論。
 
きれいごとしか言わないし、表現力は、、やばい!笑
けど、そんな自分が好きだし、それを許してくれるみんなが大好きです。
 
ずっとワクワクしていたいねっ。
さこっちでしたー。
 
 
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本番まであと数日!
まだ予約してない方はお早めにどうぞ☆お待ちしてます!
 
https://troupemanmaru.com/events/kitsuonhero_tokushima/

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